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前田 利和(まえだ としかず、享保20年9月17日(1735年11月1日) - 宝暦9年3月23日(1759年4月20日))は、加賀藩の第5代藩主前田吉徳の三男。母は側室の真如院。第6代から第10代の藩主5人の異母兄弟(宗辰、重煕の異母弟、重靖、重教、治脩の異母兄)に当たる。幼名は勢之佐。七日市藩主の前田利和(としよし)とは別人である。 == 生涯 == 享保20年(1735年)、江戸にて誕生する。延享4年(1747年)、名を利和とする。 寛延元年(1748年)7月、母の真如院が前藩主宗辰生母・浄珠院を毒殺しようとした嫌疑が抱えられて処分され、さらに母と大槻伝蔵の共謀と不義密通の疑いがかけられた(加賀騒動)。これにより、翌寛延2年(1749年)4月、江戸から金沢に送られ、小立野上野の屋敷に幽閉された。幽閉のまま、宝暦9年(1759年)、25歳で没した。院号は心樹院。墓所は天徳院。 母と大槻伝蔵の不義の子であり、前田吉徳の実子ではないとされたために、長い間前田家の人間とはみなされず、供養の列からも除かれていた。1951年(昭和26年)、『毎日新聞』に掲載された村上元三の小説を契機に、加賀騒動の真相の再検討が行われ、真相が明らかになるに伴い、同母弟の八十五郎とともに吉徳の実子とされ復権、前田家の一族として供養の列にも加えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田利和 (吉徳三男)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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